車に乗っている時気づいた。
交通情報ラジオがあるが、聾にとっては役に立たない・・・。
文字掲示板はあるが、いつもあるわけじゃない・・。

文字ラジオがあればいいが、交通法違反になってしまう・・・。

ふと思ったことがあった。聾は耳より視覚的を優先して事故も少ない。
それを認めてくれるのか・・・。
無理な話だ・・・。

最近外出が増えてパソコンを面体する時間が激少してしもうた・・・。
見ている方すまぬ。
鬱になりかけたかもな・・・。
全国に手話を教える場所が増えてきた。
だが、教えている人が聾者と限らない。
聴者が聴者に手話を教えている場所もある。
それなら聾が使っている本来の日本手話を知らないまま手話を覚えていく。
もし日本手話をつかっている聾者と出会って学んだ手話を使っても通じなかったらどうだろう?

星の金貨など聾をメインにしてドラマがある。
しかしそれは聾者が本来使っている手話と多少違う・・・。
文法が日本語となっていて聾が使っている日本手話の文法と違う・・・。
シムコム(日本語対応手話)だが、意識的に口を閉じていて私から見て違和感感じてしまう。汗

聾から学ぶのは早いが一朝一夕でできる言語ではない。
聾と一緒に遊んだり、交流をしたりなどを何回も繰り替えすれば少しずつ自分のモノになれる。
そうすれば、自然に会話できる。

手話サークルは聾者にとってありがたい存在だが、教える方法を間違えると意味が無い。
手話サークルは趣味や将来(聾学校教師・手話通訳者)のために集まる。
体制がそれぞれ違う。まとまったしっかりした体制かどうかはわからん。

本当の教師は聾ではないか?
教える言語はシムコム(日本語対応手話)なのか日本手話なのか?
それを考えて手話サークルの体制を見直してほしいとおもいつつ・・・。
私は聾学校卒である。
聴者が通っている普通学校と違い、聾(耳が聞こえない人)が学ぶ学校。
でも聾者が普通学校と言う人がいるが、私は気に入らない。
なぜ普通なのか?基準が分からないからだ。

あ愚痴を言ってもしょうがないから話を戻そう。
いま聾学校で勤務している聾教師は少ない。
私は海外旅行が趣味でフィンランドとスウェーデンとデンマークなど福祉が進んでいる国の学校を見た。
その国の聾学校は重要な発見をした。
聾教師は少なくも多くもないが、手話を使って教育している体制がとても良かった。
ある聾学校では3ヶ月研修期間があり最終日に手話のテストをやり基準を満たせばやっと聾学校の教師になれる。満たされなかったら解雇となる・・・。
日本では考えられないことだ。
手話で教育すると学生は視覚的で言葉を知ることが出来る。
それにより聾生徒相手に教育が聾生徒に口話で教育するよりかなり優れる。

日本の聾学校の現状では教科書が2年ぐらい遅れたまま卒業していく人が多くいる。
今の日本の聾学校で勤務している教員の手話のレベルは日常会話できるレベルに達していない教員が多い。
1年2年でやっとレベルになるが、聾学生同士で話している内容の読み取りは困難である。
教師が聾学生相手に使われている言語はシムコムである。
日本語という文を手話で表し口も使う。
逆に日本手話は口を使わないのが当たり前である。
日本語という言葉を普段から使っているから日本手話を身に付けるのは英語を覚えるより厳しいかもしれない。英語は音声や文を使うが、手話は文がなく手でイメージを表したり暗号サインみたいなもので覚えて使えるのではなく使っている人から盗んで自分のモノにならないと使えない。
そのため聾学校内で聾学生と教師の言語の壁が出来るのは当たり前なことである。
だから教師が教えている内容を聾学生が理解するのに時間がかかる。
そのため何回も繰り返すこともあるし、いろいろな方法を使って教えている教師もいる。

だが、口話で教育する教師は「社会のために必要です」と言われたこともあった。
現在、役に立たない・・・。
たとえば大勢の中で聞き分けもできん。もちろん会議のようなところでは無理だ。
手が空く暇がない作業中だと筆談は無理だ。

どうすれば聴者と歩みよる方法が見つかるやら・・・。
聾が住みやすい時代は何処に?
最近日本手話使えない聾者が増えつつ。
その前に言語の話を始めよう。
日本聾者にとって母語は日本手話で母国語は日本語である。
母語と母国語は一緒だと思われたが、母語は自分にとって不可欠な言語。
母国語は自分の国の言語。聾だけの国なら母国語と言って良い。
しかし日本は日本聴者が多く、日本手話を母国語とすると聴者も日本手話が使えるという形になる。

日本語は文法がある。日本手話には文法が無いと思われているのが多い。
もし日本手話に文法が無いと、意味が違ってくる。
それは日本手話を使っている人しか日本手話の文法を知っている。
日本手話はでたらめに喋ればいいものではない。
文法が一つ違うと、意味が変わってくることもある。
日本手話を母語にしている人がその言葉に違和感があると感じたら、その話している人の日本手話の文法がおかしいという形になる。

敬語もないと思われているが、本当はそうではない。
目上の人に言うときと目下の人に言うときは顔表現や、手話の仕草が違う。

例を文章で表すのが難しい。実際を見ないと理解できないのが多い。

日本手話は日本語と違う体質を持っているので、日本語を主に使っている人にとっては英語のような他国語を学ぶように大変である。
聾者にとって日本語という文章を音声で話す言語は聴覚的に困難。
イメージ表現の視覚的な言語は聴覚を使うことなく、理解が聴覚よりかなり早い。
シムコム(日本語対応手話)は日本語を基にして話す言語であり日本手話ではない。
日本手話はイメージとう日本語にない言語が多数ある。

いろいろ考えているが社会は甘くない。
理解してくれる日はいずこに?
この前、遊園地へ逝って迷子アナウンスの張り紙があった。
アナウンスか、迷子になってわーわー泣きやまない子供を迷子センターが保護してアナウンスで保護者を呼び出すことね。
なるほど。と思ったとき「ん?」と思い始めた。
聴者は聞こえるからアナウンスでそこ(迷子保護所)にいるんだなとすぐわかるが、聾は・・・。汗
さいきん小学生4年以上の人がけーたいを持っている人がいる。それならマジだが持っていない子供だったらどうだろうな・・・。
聾者なら迷子保護所まで逝き確認するが、居なかったらどうだろうな。
聴者から聞いた情報だと、親がアナウンスにでて子供を呼びかけることもあるって。
親が聾者で子供が聴者なら大丈夫だが両方聾者だったり、子供が聾者だったらどうなるか?
子供は親を捜し続ける、迷子保護所という存在を知らないと意味ない。
今は名古屋で万博があるな。
そこはかなり広いらしい土日だったら人数が多いはずだ。
その場所で聾の子供が迷子になったらどうなるか・・・。
それを考え続けて遊園地を楽しんだ。
遊園地を出たときに完全に忘れたがw
いま万博のことを聞いて思い出した。
対策はどうなっているかを疑問を感じた。
わしの足はほとんど車だし、電車とバスを使う機会が激少!!w
でも東京と大阪では電車をメインしている。
東京は便利だ。
到着駅がドア上に文字流れて表示されている。
大阪の地下鉄もそうだし~。
前は無かったのでいちいち窓から駅ホームにある駅名を確認を繰り返していた・・・。
それ大変だった。苦笑
ある日たまたま飲み会があって電車を利用した。
今は便利だなと思ったとき、あることを考えた。
わしはOX駅へ行きたいので電車に乗ってその電車はOX駅より前の駅で終着。
そのときの情報はどうなるか・・・。
この前、福知山事故が起きたね。JR西日本の。
事故の電車ではなくその次(後続)の電車に乗っていた時を考えてみよう。
聴者の出社前のサラリーマンは放送アナウンスで理解できるからすぐほかの交通機関に切り替えて会社へ行けるようになる。多少遅刻でも認められる。
しかし聾者はどうだろう・・・。
へ?電車10分20分以上動かない!?みんな騒いだりいつもなら下りるつもり無いのに下りて電車から人の気が無くなってから「あ何が起きたんだな」とやっと気づく。
そのときの情報保障はどうなっているだろう。
もし梅田駅まで行きたいとき停まって動かない状態になっていたら梅田までの臨時バスなどが運行はじめるか臨時鉄道が運行するかもしれん。その情報はどうなるか・・・。
それを考えながら電車から降りた。
ある日市役所へ用事で行っていた。
福祉課前に一枚の紙が貼っていた。
それは聴覚障害のために警察と消防へメールとFAXの通報についてだった。
聴覚障害者にとっては助かる。

んでわしは思った。
聴覚障害者が病院へ急患で運ばれた。
そのとき病院のコミはどうなっているか・・・。
いつもの診断のようにゆっくりと出来ない状態でコミはどうなるか・・・。
経験ないからどのふうになっているかその急患で運ばれた聴覚障害者の気持ちがわからん。
たとえば脳血管が詰まった時、手足が麻痺してしまう。
脳は左脳と右脳がある。
聞いた話によると、左脳の血管が詰まったとき右側の体の神経がおかしくなる。
医者が体を触られたとき、こう言われる
「右手と左手の感じ方わかりますか?」

聴覚障害者は耳が聞こえない。医者の言っていることが理解できん。
それで誤診して死亡ならしゃれになれん!!ゴルァ

急患で運ばれた聴覚障害者の意志があれば医者は患者の意志確認しないと手術などをやれません。
ぜーはーぜーはーの状態で筆談出来るわけ無いだろ汗
そのときコミはどうなっているかと思って市役所を後にした・・・。
筆談は聾と聴者とコミにもっとも有効な手段と見えたが・・・。
聾の言語は日本手話だ。シムコムは中途半端な言語だゴルァ!!



(独断な判断なのでもうしわけありませんorz)

日本手話はイメージを手話で話すという少数民族の言語でっせ。
(聾者は少ないから少数民族だしな・・・。)

日本語は言葉で文から表現するし。聴者にとって筆談は面倒だけど得意分野だ。
聾は文を書くのは学校で無理矢理と覚えて成長したから得意ではない。
聾は耳が聞こえないから音声で話す文より動きで表すイメージをつかむ方が得意。

聾者が日本語を無理矢理と身につけたことがないと言われた人もいたが、
それはおかしい。物頃つく前に親か先生から発音練習を厳しくしごられたので記憶ないかもしれん。
(独断な判断でもうしわけありませんorz)


だから筆談は有効な手段ではない・・・。

聴者と聾者の間のコミはどの手段を?どの言語を?
分からないままです・・・。汗
歩み寄るというのが重要ですが・・・。
もっとも有効なコミ方法は何だ・・・。
頭を抱える日々です。
わしは聾だ。最近友人から私は難聴だよと聞いたことがある。それってなんだよ?
少し聞こえるから難聴か?完全聞こえない人は聾か?
疑問を感じたまま日々すぎていった。
聾は完全に聞こえないイメージだからか?
障害だから無理だって言われることもあった。
障害を持つことが悪いこと?薬に手を出すと同じぐらい?
障害だから差別されるのが腹立つ。
障害者でもできることはあるのに認めてくれん。
聾は耳が聞こえないから周囲の危険を感じることが困難と言われたこともある
聾者は耳が無いから目を頼りして聴者より周囲を見回る範囲が広い。
それでもだめか?
自動車事故は聴者より確率的に低い。耳に頼るから周囲を見る範囲が狭い。
聾は逆だ。周囲を見回る範囲が広いからなんでも見れる。
それを認められない社会。
聴者を聾と逆の世界があれば気持ちわかるのに・・・。
聾者が聴者に障害者?と差別視すればいやでも分かってくれるはずだ。
むちゃな社会だ。
聾が飛び出す社会はいずこに?
私らががんばらないとあかんか・・・。orz
我が輩の名は竜蟠鳳逸之士と言おう。
なぜKOOWか?
Keep Of One Way(ただひとつの道を保つ。)
の大文字のみ取ってKOOW。その言葉は自分で考えて決めた・・・。w
自分の人生は一つやり直しきかないものである。
だから自分の道を途絶えられたり、妨げられたりされないように自分が自分の道を守って行きたいと
思いその言葉を守っていきたい。
あとRunaway train(暴走機関車)の意味そのまま自分の道をどんどん進んでいきたいw
慎重にゆっくりは苦手ですが・・・。w
こんなわしですがよろしく